小栗栖の人生を語れば本にできるくらい、バラエティに飛んでいやすからねぇ〜全部を語れやしませんよ〜(笑)
小栗栖の最大の強さは、目的を持つと達成過程においての苦労は、全く屁とも思わないところでやんす。
そんなの当たり前と言うでしょうが、その突っ走り方は半端じゃないでやんすよ。
12才でヤカンが沸騰した音を聞いて作曲したのが始まりで、10代の後半からバンドをやってたんですが、好きなことをするにはお金がかかると、昼夜問わず働いて腎臓壊して死にそうになったそうでやんす。
入院するのもお金がいると、病院が止めるのも無視して、食事療法で治しやした。
この一本気な性格に友人も多く、みんなが一斉に協力してくれたようで(泣けるでやんすね〜)、この頃から小栗栖の、“人と本気で付き合う”生き様が生まれたんでやんす。
バンドを始めた頃は、声の幅が狭く歌うことが苦手だったそうで、音大を受験する人が通う声楽家の先生に、飛び込みでレッスンを依頼したそうでやんす。
しかし、あまりの幅の狭さに「耳が悪いのでは?」(耳が悪いなんて〜と落ち込んだそうな)と、一刀両断されやしたが(ようは断られたんでやんすね)「耳は悪くないです!自分でどこの音程を外しているかも分かります!」と食らい付き、先生も小栗栖の根気と必死さに負けたんでやんすねぇ。
原因を探って下さり「発音が悪く、のどが開かないため、一定の音を越えると声がひっしゃげるみたいになるから、気管を押し広げる筋肉をつける発生法を教えてあげます。 それに毎日どこか一つは防音室が空いているから、いつでも使っていいですよ。」と、寛大な言葉を頂いたんでやんす。
本気の小栗栖は一年間毎日通い、1オクターブしか出なかった声が、低い声から高い声までどんどん出るようになったんです。
途中一回全く出なくなったそうですが、それでも息だけで毎日発声していたら、急に何倍もの声量になって出たそうで、「あの瞬間は、本当に感動した」って、今でも言ってるでやんす。
何でも、基礎って大事なんでやんすねぇ〜
当時の先生、小栗栖は今でも感謝しております ありがとうございました(当時は旧姓でしたが、こんな人を教えた先生へ)
声を出すのに大変な思いをしやしたから、小栗栖は人にヴォイストレーニングをするのも得意でやんす。
型外れなんですがねぇ〜。小栗栖と一緒に歌うと声が出るんでやんすよ〜不思議です〜
今日はこの辺にしておきます。
次回は、ちょっとおもしろいエピソードも交え、語らして頂きやすよ〜お助け猫(マネージャー)でした。
ラベル:ヴォイストレーニング