今日は、Part5 でやんす。
その前に、初コメント“ありがとうございました” まめ さ〜ん。
皆さんシャイなのか、アクセス数は増えているのに、反応が分からなかったでやんすが、嬉しいです〜
小栗栖 は頑張りやすよ〜
いよいよ、これから 小栗栖 らしい奮闘記を語ります。 心構えは良いでやんすか〜(笑)?
小栗栖 は、根っからのアーティストでやんして、教えられることもなく小さい頃から、絵は毎年展覧会で入賞してました。 そのせいでやんすか、色彩に興味があって特に手染めの鮮やかさに惚れてたんです。
前にも言いましたが、20代は音楽をするために無我夢中で働いてやしたが、どうせやるなら好きなことをと、手染めの世界に飛び込んだんでやんす(相変わらず無謀でやんすね)。
まずは、着物の染めに頼み込みました。
着物の染めは美大生でないと難しいのですが、ここでも 小栗栖 の熱意が勝ったでやんす。
入ったのはいいのですが、職人の世界は世間が思うより厳しく、職人の前を横切るのも御法度で、たいへんだったようでやんす(濁してやんすよ〜)。
最終的に、服地の手染めの方に行きたかったものですから、3年修行し今度は服地の手染めに頭を下げに行ったでやんす。
しかし、服地の染めは当時、女はいらないって言う世界でやんしたから(今はオートで変わったと思いやすが)、業界一番の職人さんのしごきが、それは凄かったそうでやんす
職人さんからすれば、男性でも一日で辞める世界ですから、女性には勤まらないと、それを早い段階で分からせるためのものだったんでやんすねぇ。
毎日、アホ ボケなどの(もっと凄い言葉もあったようでやんすが、心臓に悪いでやんすから〜)叱咤はもちろん、竹の棒で追いかけ叩かれたり、教えてもらうことなど一切なく、いじめられに行ってたようなものでやんした。
また、二束三文の給料ですから、染めで働くために別のバイトをしてたんでやんすよ。
ここで、普通は辞めますが、小栗栖 は違いやすよ〜
一年もしごきに耐え、とうとう最終的には、一番取れない“紫色の染料”を頭からかけられ 「帰れ、二度と来るなー!」と。
職人さんもこれで、さすがの 小栗栖 も諦めるだろうと思ったのが、小栗栖 は何と、寒い冬に職場の水道で頭を洗い、水では染料が取れないため一旦帰って銭湯に行き(お風呂がなかったでやんす〜)丹念に取って、その足ですぐに職場に帰ったでやんす。
帰って来た 小栗栖 に 「帰って来たんか」 と、鬼の職人さんも驚いて根負けしたそうでやんす
次の日から、小栗栖は何と 一番弟子に格上げで、周りの男性弟子全ての上になったでやんす。
一旦 認めれば、職人さんは男気に溢れてますから、小栗栖 を娘のように可愛がってくれたんでやんす。
職場では変わらず厳しかったらしいでやんすがね(笑)。
一番弟子になってからは、給料も上がったので働くためのバイトは辞め、音楽活動にも余裕ができたでやんす。(30代前には、京都の手染めもオート化して辞めることになったですが。)
男気溢れる職人さんも、小栗栖をお嬢と呼んで、小栗栖 の歌を聴くのが好きだったようでやんすねぇ。
小栗栖の根性は肝が座ってますから、全部笑いながら当時のことを話すんです。
「手染めの色彩は凄い鮮やかで、ずーと見惚れてしまうねん。音も出てくるねん。 私、根性だけで鈍くさかったから、それを学ぶ前に、人格を全て否定されたけどなぁ〜あっはは〜でも、凄い男気ある大好きな(父親みたいに)職人さんやってん」って、言ってるでやんすよ(笑)。
小栗栖ゆかり の歌は、小栗栖のこんな人生奮闘記によって、深みを出しているんでやんすねぇ。
上手い人は星の数ほどいやすが、小栗栖の歌には深みがあるでやんす〜
おおぉ〜また、最後は褒めすぎになってしまった〜
今回、奮闘記で少し音楽から離れてましたが(小栗栖の人生は全て音楽に結び付くんです)、次回は、音楽話に戻りやすよ〜お助け猫(マネージャー)でやんした。